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歴史

卑弥呼って?小学生にもわかる!邪馬台国卑弥呼の歴史に触れてみる!

2016/11/19

卑弥呼は、邪馬台国の女王だったと言われています。
?~248年頃に、生きたとされている人物なんですよ。

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邪馬台国の存在が明らかになったのは、中国の書物
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に、その記載が
あったからです。

「魏志倭人伝」には、当時の日本列島の様子が
記述されています。

その時代、中国では、魏(ぎ)と呉(ご)と蜀(しょく)の
三国が争う三国時代で「魏志倭人伝」は魏の書物になります。

小説「三国志」などの世界で有名ですよね。
魏は、英雄「曹操(そうそう)」が興した国。


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三国のなかでも魏は、最も勢力が強く、邪馬台国の卑弥呼は、
魏の帝(曹操の子孫)に使いをおくり、魏の後ろ盾を得る
ことで、日本列島での自国の安定を得ようとしたのです。

その頃の日本には、たくさんの国が存在し、
互いに争っていました。

邪馬台国はそのなかでも、特に力の強い国で、周辺の、
およそ30くらいの国に、力を及ぼしていたとされています。


卑弥呼が邪馬台国の女王になると国が安定する!

卑弥呼が、女王に選ばれるまでの邪馬台国では、
王の跡目争いなどが絶えませんでした。


そこで、国を安定させるための方策として、
担ぎ出されたのが卑弥呼で、彼女が女王に選ばれると、
国は不思議なほど安定をとりもどしたと言われています。
(どんな人だろ?会ってみたい!)(^◇^)

卑弥呼は神秘的な女王で、人の病気を治したり、
鬼道を得意としたとされています。
(魔術師だったんだ!)(゚д゚)!
(邪馬台国の使者から、卑弥呼の話を聞いた
魏の王は、かなり驚いたんじゃないでしょうか?)


その政治的スタイルは、人前には姿をあらわさず、神に祈り、
そのお告げを聞いて、弟に伝えるというものだったそう。
244757 生活に関する身の回りの世話は、すべて卑弥呼の弟が
行っており、他の者との接触は、ほとんどなかったそうです。

ですから、実際に政治をおこなっていたのは、弟になります。

ですが、弟の力だけでは、国を治めることが出来ず、弟の上に
卑弥呼という、霊的に強い存在を必要としたわけです。

この頃から日本の政治スタイルが始まっていた?

のちの天皇一族と、卑弥呼一族に関係があるのかどうかは
わかりませんが、そういう意味では、神の声を聞く卑弥呼と
天皇の役割は近いですし、似ているものがあります。

天皇も、外部的な力をなくした時期がありましたが
(戦国時代など)、それでも祭祀として、その時々で
力のある将軍たちが、天皇の力を利用してきました。

ですから、すでに卑弥呼の時代から、日本独特の
政治的スタイルが、地を固め始めていたと、
言えるかもしれません。


実際、「魏志倭人伝」の中の、卑弥呼についての記述が、
日本の歴史書である『日本書紀』『古事記』における
天照大神(あまてらすおおみかみ)に似ているという
指摘もされています。

天照大神は皇室の祖神で、日本国民の総氏神とされています。
(ウィキペディアによる)

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謎の女王卑弥呼は、もしかしたら、天皇の祖先
だったのかもしれません。(゚д゚)!


239年に卑弥呼は、魏に使者と貢ぎ物(奴隷や織物など)を
送り、魏から「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号を
授かりました。

貢ぎ物の返礼として、魏の王から倭(やまと)=日本の国の
王と、認めてもらうことに成功したわけです。


認められたという証に、金印(黄金で作った印章)や
銅鏡が、卑弥呼に与えられました。
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邪馬台国は日本のどこにあったの?

邪馬台国は、魏志倭人伝の中の記述から、北九州にあったと
いうものと、近畿にあったという説が現在も対立しています。

     北九州 VS 近畿

近畿にあったのであれば、本州の大部分を勢力下にいれる
巨大な国が、その頃から成立していた事になります。

一方、北九州にあったとするならば、邪馬台国はいまだ
日本列島という観点から見れば、単なる一地方の有力な国、
というレベルにとどまってしまいます。

近畿か北九州かという違いは、大きな相違点になりますが、
いまだ解決を見ていません。


魏志倭人伝の記述によれば、邪馬台国には、
約7万戸の家があったということです。

遠い大陸の外国に認めてもらうことで、自らの国の安定を
得ようとしていたわけですから、卑弥呼が女王になった
とはいえ、邪馬台国は外部的には、さまざまな驚異に
さらされていたと言えるかもしれません。
606085 248年頃、卑弥呼が死ぬと、直径およそ150メートルほどの
巨大なお墓がつくられます。
このお墓には、卑弥呼の遺骸と一緒に、100人ほどの奴隷が
埋められたと言われています。


卑弥呼の死後

卑弥呼が死んでしまうと、邪馬台国には再び争いごとが
起こり、乱れ始めます。

そこで考え出されたのが、壱予(いよ)を女王に選ぶ、
ということでした。(壱予は生没年、不詳です)

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壱予は、卑弥呼の一族の娘で、人々は壱予のなかに、
卑弥呼と同じ、神秘的な力の存在を、認めたのかも
しれません。

不思議なことに、壱予を女王に据えると、再び国は
安定を取り戻したということです。

壱予に鬼道という力があったのかは、分かりませんが、
すごい影響力ですよね。

というか、卑弥呼が凄すぎたから、他の人間より、
一族であった壱予が、すんなりと受け入れられたのかも
知れません。


卑弥呼の人物像は、まだまだ謎だらけです。
現代にまで、神秘のベールに包まれたままなんて
なんだか素敵ですよね。

『卑弥呼』・・あなたは、どんな人物像を想像しますか?

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